東京の伝統行事

kanda matsuri神田明神(正式には神田神社)は、東京都千代田区の御茶ノ水駅から北へ徒歩5分の地に鎮座する、江戸時代は江戸の総鎮守として信仰を集めた神社。戦前は東京府(東京都)の府社であった。当社についての詳細は神田明神の記事を参照。
その例大祭である神田祭は東京でも代表的な伝統的祭礼の一つである。

神田祭

神田明神の例大祭である神田祭は江戸・東京の代表的な伝統的祭礼の一つ。神社側では日本三大祭の一つかつ江戸三大祭の一つだと称している。江戸時代は江戸城内に祭礼行列が練りこみ、将軍・大名・大奥らの上覧があったため天下祭とされ、同じく天下祭であった赤坂日枝神社の山王祭とは交互に催された。現在でも祭礼行列は、神田祭は西暦奇数年、山王祭は西暦偶数年に催されている。

神田祭は数日間に跨って開催されるが、そのハイライトは土曜日に催される鳳輦・宮神輿の神幸祭と、その翌日曜日の町会神輿の宮入である。ただし神幸祭と神輿宮入は本祭の年(西暦奇数年)のみ実施され、陰祭(西暦偶数年)の年には行われない。また、一連の行事の中で、神事祭祀として(狭義の)例大祭が行われる。

鳳輦神輿遷座祭

鳳輦神輿遷座祭では、雅楽が奏でられるなか、本殿より祭神3柱の神霊が3基の鳳輦神輿に遷される。一之宮鳳輦には大己貴命が、二之宮神輿には少彦名命が、三之宮鳳輦には平将門命が、乗せられる(フラッシュを使用しての撮影は禁止)。

氏子町会神輿神霊入れ

16時から始め21時頃まで、氏子町会108ケ町の各神酒所にて、大小合わせ総計約200基の町会神輿に神霊を入れる。

神幸祭

神幸祭は期間中の土曜日に行われる神田祭のハイライトで、鳳輦・宮神輿が神田明神の氏子地域を終日巡行する。早朝5時すぎの「御鍵渡しの儀」から始まり、8時頃に発輦祭が行われ、その後、神田明神の祭神3柱の神霊を乗せた鳳輦・宮神輿を中心とする行列が出発。神田・日本橋・大手町・丸の内・秋葉原などの108ケ町30kmを練り歩き、神社に戻るのは19時すぎとなる。旧跡地である将門首塚では「奉幣の儀」、両国旧御仮屋(薬研堀不動院境内)では「昼御饌」といった神事を行い、途中の16時頃、日本橋三越前で附け祭の武者行列やバルーン山車などが後ろに合流する。
神幸祭の間、神田明神の境内では、江戸蕎麦打ち、神田囃子、長唄の奉納や和太鼓フェスティバルが開催される。

諌鼓山車
神田祭
獅子頭山車
神田祭
先導騎馬神職
神田祭
宮司馬車
神田祭
区長の馬車
神田祭
一之宮鳳輦
神田祭

大己貴命が乗る一之宮鳳輦は昭和27年調製。

御胡簶
神田祭
二之宮鳳輦
神田祭

少彦名命が乗る二之宮神輿は昭和48年調製。

騎馬神職
神田祭
真榊
神田祭
三之宮鳳輦
神田祭

平将門命が乗る三之宮鳳輦は昭和59年調製。入母屋屋根で鰹木も乗る。

相馬野馬追騎馬武者
神田祭
神田祭

福島県相馬市の相馬野馬追い神事の騎馬武者は、平将門が相馬氏の遠祖である縁で附け祭に参加する。

浦島太郎
神田祭

附け祭には、東京芸大の学生が作った様々なバルーン山車も参加する。

花咲か爺さん
神田祭
大江山凱陣
神田祭

京都・大江山の酒天童子の説話に基づく山車。

大鯰と要石
神田祭

地下に棲み地震を起こすとされた大ナマズとそれを押さえつけている要石の山車。この要石は鹿島神宮と香取神宮にある。

町会神輿の宮入

神幸祭の翌日に終日行われる神輿宮入では、氏子町会108ケ町の町会神輿大小約200基が各自で渡御を行い、その半数は神田明神へ宮入りする。連合渡御を組む町会も多い。昨日に続く神田祭のハイライトで、中でも18時頃に行われる江戸神社本社神輿(旧神田青果市場の千貫神輿)の宮入りが特に名高いが、。また隣接地区の秋葉原にも「お祭り広場」と呼ばれるほどに神輿が多数集まる。

神輿宮入
神田祭
神田祭
神田祭
山車
神田祭

境内に展示されている加茂能人形山車は魚河岸会の所有で、関東大震災で焼失した山車を昭和30年に復元したもの。桃太郎人形山車は岩本町二丁目岩井会(山車本体は昭和9年、桃太郎人形は昭和11年)神田松枝町会の羽衣人形山車

例大祭

祭祀として最重要なのは5月15日に固定(ただし年によって日程上の都合で動かされることがある)して執り行われる祭礼式で、氏子の幸せ、日本の繁栄と平和を祈念する。献饌(神饌を献上)、宮司による祝詞奏上、神社本庁の献幣使による献幣、氏子らの玉串拝礼、里神楽の奉納、明神胡蝶の舞の奉納が行われる。

江戸三大祭・日本三大祭

江戸三大祭の組み合わせとして最も一般的に流布しているのは以下のパターンである。

この組み合わせは神田明神、赤坂日枝神社、富岡八幡宮の各社も主張している。しかし中には根津神社の例大祭浅草神社の三社祭が組み合わされることもある。根津神社は天下祭(1714年の一度だけ天下祭となった)繋がりで、神田祭と山王祭とで江戸三大祭だとしている。また浅草神社は『全国神社名鑑』では深川八幡祭・神田祭とで江戸三大祭だと述べている。ただしいずれの組み合わせパターンでも、神田祭だけは必ず組み入れられている。
一方、日本三大祭に関しては、神田明神では京都の祇園祭、大阪の天神祭と神田祭とで日本三大祭だとしている。一方、赤坂日枝神社は神田祭の代わりに自社の山王祭を入れ、京都の祇園祭、大阪の天神祭と山王祭とで日本三大祭だとしている。

神田祭の歴史

神田大明神御祭図(歌川国輝、19世紀)
神田祭

神田明神の例祭日は、延慶2年(1309年)に当社に将門の霊が合祀され神田明神と改称されたとき以来、旧暦9月15日と決まっていた。江戸時代初期の元和年間(1615-1624年)までは船渡御だったとされる。江戸時代は山車を主体とする祭礼で、江戸城内に祭礼行列が練りこみ、将軍・大名・大奥らの上覧があったことから山王祭と共に天下祭と呼ばれていたことは有名である。江戸時代は京橋以北が氏子地域であった(明治に日本橋川以北に)。
明治に入ってからも、陰祭は5月15日となったものの、本祭は旧暦9月15日に催されていたが、明治17年の祭礼時に台風で多数の死者を出したことなどから、明治25年、新暦の5月15日に移行した。しかし明治31年には渡御・山車巡行は5月に残したうえで、例大祭自体は9月に戻された。また明治20年代からは電線の整備によって次第に山車の運行に支障をきたすようになり、山車から神輿に移行していった。
戦後は、昭和23年から例大祭自体も5月に移行し、昭和27年に神幸祭が再開されるとともに町神輿の連合宮入が初めて斎行された。その後、神幸祭にかける日数もどんどん減って行き、戦前は10日前後もかけて氏子町会を巡行していた時期もあったが、昭和52年以降は一日で回っている。
平成16年からは陰祭の年にも大神輿(本祭の年に使う鳳輦神輿とは別物)の渡御が恒例化した。

江戸期神田祭の模型(江戸東京博物館)
神田祭
神田明神(神田神社) 神田明神HP
[神田明神資料館]時間:土日祝の10-16時 料金:300円
東京都千代田区外神田2-16-2 地図
アクセス: JR中央線・東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅より徒歩5分/ JR・東京メトロ日比谷線 秋葉原駅より徒歩7分/ 東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅より徒歩5分/ 東京メトロ銀座線 末広町駅より徒歩5分
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