浅草神社(東京都台東区)は、浅草寺の本堂隣りに鎮座し、浅草寺の草創に関わった3人の一般人を後に神として祀った神社。当社についての詳細は浅草神社の記事を参照。
5月中旬の三社祭は浅草神社の例大祭で、東京を代表する祭礼の一つ。
浅草神社 三社祭
三社祭は浅草神社の例大祭で、全国的にも有名な祭礼であり、江戸三大祭に数えられることもある。(ただしこの三大には幾つかのパターンがあり、三社祭が含まれない組み合わせもある。後述)。その名は浅草神社の旧称である三社権現に由来するが、この「三社」とは当社の祭神3柱のことを指す。
江戸時代は浅草寺の本尊示現会と同時(3月17~18日)開催されていたが、現在は5月17~18日に近い金土日曜日に催され、3日間で毎年約150万人の人出があるとされる。なお、日程の主な次第は毎年同じである。
- 三社祭の例年の日程
- 木曜日 - 本社神輿神霊入れの儀
- 金曜日 - 大行列、びんざさら舞奉納、各町神輿神霊入れの儀
- 土曜日 - 例大祭式典、町内神輿連合渡御
- 日曜日 - 本社神輿各町渡御
金曜日
- 大行列
- 社殿でびんざさら舞
- 神楽殿でびんざさら舞
- 各町神輿神霊入れの儀
大行列
大行列は毎年金曜日の午後から行われる。囃子屋台、金棒、鳶頭木遣り、氏子総代・各町役員、びんざさら舞、芸妓連の手古舞、組おどり、白鷺の舞、屋台で構成された大行列が浅草寺の北方にある東京浅草組合の前からスタートして浅草の町を練り歩き、浅草神社に到着する。
びんざさら舞
大行列後、まず社殿で、次に神楽殿で、東京都指定無形民俗文化財であるびんざさら舞が奉納される。びんざさらは獅子舞と鳥間口の舞(稲作をなぞった舞)で構成された田楽舞の一種だが、獅子舞と鳥間口の舞の両方が奉納されるのは拝殿内のみで、神楽殿ではスペースの関係上、獅子舞は舞われない。なお、拝殿内での舞は拝殿間近で観覧することができないため、あまり良く見えない。
その後の「各町神輿神霊入れの儀」では各氏子町会の町神輿に神霊を遷す。なお、本社神輿3基にはすでに前日(木曜日)の夕刻に神霊が遷されている(本社神輿神霊入れの儀)。
土曜日
- 例大祭式典
- 町内神輿連合渡御
- 神楽殿での奉納芸能
町内神輿連合渡御
例大祭の式典後、正午から始まる氏子各町連合渡御では、まず氏子44ヶ町の町神輿約100基が浅草寺の本堂裏の広場に集結し、それから一基ずつ浅草神社に向かう。
氏子町会の町神輿は、一基ずつ浅草寺裏を出発し、浅草神社でお祓いを受けたあと、自分の町へ渡御しながら戻る。
町内神輿は立派なものが多いものの、擬宝珠の神輿が目立つというほかは、オーソドクスな形状である。少し変わったものは、この浅草千和町会の入母屋造の小神輿ぐらいであった(この町会には小神輿が2基ある)。
日曜日
- 本社神輿の渡御
- 神楽殿での奉納芸能
本社神輿の渡御
一之宮神輿(昭和25年製作、1026kg)は土師真中知命の、二之宮神輿(昭和25年製作、1109kg)は桧前浜成命の、三之宮神輿(昭和28年製作、1109kg)は桧前竹成命の神霊を載せて渡御する。宮神輿3基のうち2基は頂に鳳凰ではなく擬宝珠を載せている。擬宝珠を戴いた神輿自体は若干珍しいという程度だが、町神輿にも宮神輿に倣って擬宝珠を頂いているものが少なからずあり、擬宝珠を頂いた神輿がこんなに集まっているのは珍しい。
日曜日の早朝から本社神輿3基が三手に分かれてそれぞれ別ルートで氏子地域を終日渡御する。中でも朝6時の宮出しは三社祭のハイライトとされる。またそれとは別に、浅草の各地で氏子が自分の町内神輿を担ぐ。本社神輿は19時頃の宮入り後、21時の「御霊返しの儀」で祭神の神霊を本殿に返し、ここに三社祭は終了する。
奉納行事その他
日曜は雷門通りから馬道通りが車両通行止めとなり、神輿が自由に渡御できるお祭り広場が設けられる。
浅草の町の各所にこのような御仮屋が設けられ、お囃子が奉納される。
隣接氏子地域で同日程に催される神社例大祭
三社祭と同時に、氏子地域を接する西浅草八幡神社、吉原神社、小野照崎神社でも例大祭が催され、神輿渡御などが行われる。
西浅草八幡神社 例大祭
西浅草八幡神社は元禄13年(1700年)に創建された鎮守社。氏子地域は西浅草二丁目の東町会と西町会の2町会のみで、浅草神社の氏子地域を切り取るかのように存在する。西浅草八幡神社の例大祭は三社祭と同日程で催され、日曜日には本社神輿が巡行する。
吉原神社 例大祭
吉原神社は吉原遊郭街の鎮守だった稲荷社で、浅草神社の北西方面で氏子地域が接する。吉原神社の例大祭も三社祭と同日程で開催され、土曜の夕刻には狐に扮した面々が随伴して本社神輿の渡御が行なわれる。
小野照崎神社 例大祭
小野照崎神社とは浅草神社の西方で氏子地域が接する。小野照崎神社の例大祭も例年、三社祭と同日程で開催され、3年に一度の本祭では本社神輿が渡御し、その他の年は町会神輿の連合渡御が行われる。
その他
三社祭の歴史
三社祭は正和元年(1312年)または2年(1313年)に神託により初めて船祭として始まったと伝えられ、明治時代になるまでは観音祭または浅草祭と呼ばれて3月17~18日に開催され、隔年で本祭が行われていた。現在でも3月17~18日においては浅草寺で本尊示現会が行われているが、これはかつては三社祭と一体的に執り行われていた行事だった。
明治になって市内に電線が張り巡らされ山車の運行が難しくなるまでは、江戸の祭礼では神輿といえば宮神輿のことで、氏子は主に山車を繰り出すものだった。三社祭も同様で、3月18日の祭礼当日早朝に浅草橋(江戸城の城門があった)から氏子の山車行列が北上して浅草寺に至り、前夜から本堂に安置されていた宮神輿3基に参詣し、各自の町へ帰った。その後、宮神輿を本堂から下ろし、浅草橋の乗船場まで担いでそこから船に乗せ、隅田川を遡上して駒形から上陸し、浅草神社に還御した。
船渡御は明治維新で廃絶し、明治5年の神仏分離令で祭礼のうち神社の部分(三社祭)が5月17~18日に分離され、氏子各町に宮神輿が渡御する形式となった。一方、かつては三社祭と一体的な祭礼だった浅草寺側の祭礼である本尊示現会は3月18日の日程で残った。三社祭のこの日程は昭和37年まで続いたが、それ以降は5月17~18日に近い金土日曜日に開催されている。なお、本尊示現会においては平成15年からは浅草神社の宮神輿の堂上げ・堂下げが復活している。
江戸三大祭について
浅草神社の三社祭は、江戸三大祭の1つに数えられる事もある祭礼である。ただし、江戸三大祭には幾つか組み合わせのパターンがあり、三社祭が含まれないバージョンが主流である。
現在最も流布している江戸三大祭のパターンは以下の組み合わせである。
しかし、文京区の根津神社の例大祭や浅草神社の三社祭が組み合わせに入るパターンもある。根津神社では、江戸時代に天下祭であったということで、深川八幡祭の代わりに自社を入れる。浅草神社の場合、『全国神社名鑑』の記述では、深川八幡祭・神田祭とともに江戸三大祭だとしている。
びんざさら舞について
三社祭や、かつて三社祭と一体的に催されていた浅草寺の本尊示現会で催される田楽の一種で東京都指定無形民俗文化財。田楽は田植行事を芸能化したもので、五穀豊穣を祈願して行われる。びんざさら(編木、拍板)とは手にしている木製の楽器の名称で、チベットに源流があるとされ、この楽器を構成する108枚の木札を打ち鳴らして音を出す。鎌倉の右大将が再興したとも、衣装から室町時代のものとも伝える。なお、当社のびんざさら舞には獅子舞が組み合わされている。
本尊示現会と一体的に催されていた江戸時代の三社祭では浅草寺の本堂前で奉納されており、現在も平成に入ってから3月18日の本尊示現会の神輿堂下げが復活した際に本堂前で奉納されるようになった。