穴守稲荷神社

穴守稲荷神社穴守稲荷神社は、東京都大田区の、京急空港線の穴守稲荷駅より東へ徒歩3分の地に鎮座する神社。
江戸後期の文化元年(1804年)、羽田浦にあった要島での新田開墾(現在の羽田空港あたり)の折り、荒波で堤防に大穴が開いて海水が侵入しそうになったので、村民が堤防上に稲荷大神を祀ったのが創祀で、それ以来風浪の害はなくなり田畑は良く実った。「穴守」の名は「堤防に開いた穴の害から田畑を守る」に由来する。第二次大戦直後の昭和20年9月、占領軍の命令で羽田空港を拡張するため立ち退き、現在地に遷座した。

西参道鳥居
穴守稲荷神社

穴守稲荷神社は西側と南側(正面)から参道が伸びるが、社号碑が立つのは西側。

神楽殿
穴守稲荷神社

神楽殿は戦後の昭和43年築。

社殿
穴守稲荷神社
 
穴守稲荷神社

社殿は戦後の昭和40年に建造された鉄筋コンクリート建築。

神田
穴守稲荷神社
千本鳥居
穴守稲荷神社

奥之宮への参道は千本鳥居のトンネル。

稲荷山
穴守稲荷神社

奥之宮のある稲荷山とその周辺は令和2年に再構成された。

奥之宮
穴守稲荷神社

奥之宮(お穴さま)の神砂(お砂)を持ち帰って家の敷地内や玄関等に撒く、あるいは携帯すると願いがかなうとされる。神砂の由来は以下の通りである。
あるとき、漁師の老人が漁から帰って釣った魚を入れた籠を覗くと湿った砂しかなかった。翌日も翌々日も大漁だったが同様であったため、村人たちにこのことを話すと、村人は狐の仕業だとして穴守稲荷神社を取り囲んで一匹の狐を捕まえた。しかし老人は狐を許して放した。それ以来、老人が漁に出ると必ず大漁となり、籠には多くの魚とわずかの湿った砂が残るようになった。老人がこの砂を家の庭に撒くと、客が次々と来るようになったため、老人は富を得た。以来、招福のご利益を期待して穴守の砂を求める人々が多く来るようになった。

穴守稲荷上社
穴守稲荷神社

稲荷山の最上階には穴守稲荷上社と御嶽神社が鎮座。

築山稲荷など
穴守稲荷神社
 
穴守稲荷神社

羽田まつり
穴守稲荷神社

7月末開催の羽田神社の羽田まつりの期間中、当社は地元町会の御神酒所となり、露天商も多少出店する。なお、当社が戦後に旧地から強制的に立ち退かされた後の数年間、御神体は羽田神社に仮安置されていた。

羽田まつり
イベントガイド
羽田神社 羽田まつり | 東京都大田区
7月 - 宮神輿巡行と町神輿の連合渡御

旧大鳥居

終戦直後の昭和20年(1945年)、穴守稲荷神社は羽田空港拡張のため現在地へと遷座を強いられた。しかし大鳥居のみは、倒そうとすると死傷者が出たため祟りと恐れられ旧地から撤去されなかった。しかしその旧大鳥居も平成11年(1999年)、ついに弁天橋たもとの現在地(地図)へと移築された。
なお、最寄り駅は穴守稲荷駅より1駅東の天空橋駅である。一方で、穴守稲荷駅より1駅西には大鳥居駅がある。大鳥居駅の付近にかつて穴守稲荷神社の別の大鳥居があったことが駅名の由来だが、現在はこちらには鳥居はない。

旧大鳥居
旧穴守稲荷神社大鳥居

例大祭は11月3日(文化の日)。
また当社の特徴的な祭礼としては、8月下旬の献灯祭がある。

穴守稲荷神社 公式HP
東京都大田区羽田5-2-7 地図
アクセス:京急空港線 穴守稲荷駅より徒歩3分
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