荻外荘公園
荻外荘(てきがいそう)公園は、JR中央本線または東京メトロ丸ノ内線の荻窪駅より南へ徒歩11分の地に位置する近代和風建築。
荻外荘は、昭和2年に、大正天皇の侍医頭の入澤達吉(1865-1938年)の邸宅として、伊東忠太の設計で竣工。楓荻荘(ふうてきそう)と名付けられた。
昭和12年、近衛文麿(1891年-1945年)の別邸となり、西園寺公望の命名で荻外荘と命名され、翌13年には別棟と蔵が増築された。
首相などを務めた文麿は荻外荘を政治の舞台として活用し、歴史上重要な会議なども催されたため国指定史跡となっている。
終戦直後、文麿は、戦犯に問われそうになったため当地にて服毒自殺した。
その後、吉田茂も一時期、この邸宅を借りて居住した。

南側の芝生広場には、当時は池があった。


この部分は昭和35年に豊島区の天理教施設に移築されていたが、今回の復元公開にあたり旧地に再移築された。


蔵は昭和13年増築。

別棟も昭和13年増築。
長男・文隆の書斎や妻・千代子の部屋があった。
屋内

応接室は中国風の意匠。


客間では、昭和15年の「荻窪会談」をはじめ、重要な会談が行われた。


書斎は当初は洋室だったが、後に和室に改修。
GHQの出頭命令を受けた近衞文麿はこの部屋で自決した。