宗吾霊堂(東勝寺)

宗吾霊堂(東勝寺)宗吾霊堂(東勝寺)は、千葉県成田市の、京成本線の宗吾参道駅より北へ徒歩14分に位置する、真言宗豊山派の別格本山。山号は鳴鐘山。
桓武天皇の代(在位781-806年)、坂上田村麻呂が東勝寺を創建。戦国時代に焼失するが、江戸前期の寛文8年(1668年)に移転再興
一方で宗吾霊堂は、文政13年(1830年)、義民・佐倉宗吾の墓の傍らに供養の堂を建立したのが始めで、当時は東勝寺自体は少し離れた位置にあった。大正6年、飛地境内であった宗吾霊堂の地に東勝寺が移転・合併。

現在、宗吾霊堂は義民・佐倉宗吾を祀る大寺として知られ、寺観も整っている。
佐倉宗吾は本名を木内惣五郎という江戸初期の名主で、佐倉藩の重税を4代将軍家綱公に直訴した罪で承応2年(1653年)に処刑された。佐倉藩が宝暦2年(1752年)、木内惣五郎の名誉を回復して宗吾道閑居士の法号を諡号して以来、宗吾様と呼ばれている。

総門
宗吾霊堂(東勝寺)

総門は京成線宗吾参道駅の近くに立つ。

境内入口
宗吾霊堂(東勝寺)
 
宗吾霊堂(東勝寺)
灯明台
宗吾霊堂(東勝寺)
宗吾様御廟
宗吾霊堂(東勝寺)

処刑された佐倉宗吾とその4人の子供の墓。江戸時代はささやかな石碑の墓だった。なお、現・境内は処刑場の跡である。

大山門
宗吾霊堂(東勝寺)

大山門は昭和53年にRC造で建立。

大山門内
宗吾霊堂(東勝寺)
大本堂
宗吾霊堂(東勝寺)

豪壮な大本堂は大正10年建立。本尊は佐倉宗吾。
なお、宗吾霊堂の別当寺である東勝寺の本尊は大日如来である。

池と鐘楼堂
宗吾霊堂(東勝寺)

鐘楼堂は昭和27年建立。

薬師堂
宗吾霊堂(東勝寺)

薬師堂は、焼失した供養堂(現在の本堂に相当)の仮堂として明治44年建立。大正10年の大本堂竣功後は、五霊堂(佐倉宗吾と共に直訴し、その罪で追放された名主5名を祀る)となり、後に5人の御霊が本堂に移されると、薬師堂に改称。

聖天堂
宗吾霊堂(東勝寺)

聖天堂は昭和62年建立。

大本坊
宗吾霊堂(東勝寺)

大本坊は昭和17年建立。

奥之院
宗吾霊堂(東勝寺)

奥之院は平成14年建立。

宗吾殿
宗吾霊堂(東勝寺)

宗吾殿は、東京の浅草宗吾殿(真下の写真)を、現地の再開発に際して平成29年に移築建立したものと言う。

参考:浅草宗吾殿(東京都台東区、現存せず)
宗吾霊堂(東勝寺)

宗吾霊堂境内の宗吾殿の説明板には、この浅草宗吾殿を「移築建立」したのが宗吾殿だとある(が、新築のように見える)。
なお、浅草宗吾殿(社殿は昭和28年再建)は、佐倉宗吾を処刑した堀田正信の子孫のうち近江宮川藩主となった堀田家が、浅草の下屋敷に佐倉宗吾を祀っことに由来する堂であった。

宗吾霊宝館
宗吾霊堂(東勝寺)

宗吾霊宝館は昭和10年竣工でRC造。

宗吾御一代記館
宗吾霊堂(東勝寺)

宗吾御一代記館は、佐倉宗吾の生涯を人形で解説する資料館。

宗吾御一代記館前の石庭
宗吾霊堂(東勝寺)
慈眼閣
宗吾霊堂(東勝寺)

慈眼閣は平成3年建立。

旧客殿
宗吾霊堂(東勝寺)

旧客殿も戦前の建物。

旧客殿前の石庭
宗吾霊堂(東勝寺)
甚兵衛堂
宗吾霊堂(東勝寺)

甚兵衛堂は、他堂から離れてあじさい園内に立つ。
甚兵衛は、佐倉宗吾が江戸へ直訴に赴くのに禁を破って協力した後、自裁した人物。

年中行事

当寺の行事で人出の多いものとしては、2月3日の節分会豆まき、6月の紫陽花まつり、9月初旬のお待夜祭、がある。

紫陽花まつり

境内のあじさい園には7000株ものアジサイが植えられており、6月の開花時期には紫陽花まつりが開かれる。詳細は「宗吾霊堂 紫陽花まつり」の記事を参照。

宗吾霊堂 紫陽花まつり
イベントガイド
宗吾霊堂 紫陽花まつり | 千葉県成田市
6月。紫陽花7000株
あじさい園
宗吾霊堂(東勝寺)
 
宗吾霊堂(東勝寺)

お待夜祭

佐倉宗吾の御霊を偲ぶ祭礼。かつては命日の8月3日開催だったが、現在は9月の第一日曜日とその前日に開かれる。多くの露店が出るほか、屋台の曳き廻しなども行われる。

宗吾霊堂(東勝寺)
[御一代記館・霊宝殿] 時間:8:30-16:00 拝観料:700円 休館日:月(祝なら翌日)
千葉県成田市宗吾1-558 地図
アクセス:京成本線 宗吾参道駅より徒歩14分
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