龍口明神社
龍口明神社(りゅうこうみょうじんしゃ)は、神奈川県鎌倉市の、湘南モノレールの西鎌倉駅より東へ徒歩5分の地に位置する、旧津村・腰越村の鎮守。
現在の祭神は玉依姫命と五頭龍大神(江戸期の地誌には、神体は泰澄作の五頭の蛇体で、白鬚明神が前立だとある)。
神武天皇の代より、深沢湖(鎌倉市の深沢地区にあったと伝わる大湖)に棲む五頭龍は国土に災いを起し、子を喰らった。民が逃げたので地名を子死越と呼んだ(「腰越」の由来)。
欽明天皇13年(西暦552年)、江ノ島の湧出とともに弁財天女(無熱龍王の三女、江島明神)が顕現。龍は天女に改心服従し夫婦となり、更に後に龍口山と化した。龍は龍の口に当たる所に祀られ、子死方明神や白髭明神と呼ばれた。
養老7年(723年)、江島にて修行中の泰澄が、龍口山の2池に各々光明真言と阿弥陀仏六字を投げ入れると龍口明神が現れ、悪人の首を捧げるよう告げた。
別伝では養老7年(723年)江島岩屋にて泰澄が、霊夢に現れた神々の像を彫り、弁財天像は江島明神へ奉納し、玉依姫命と五頭龍大神の像は白鬚明神へ奉納、龍口明神社と改めたと言う。
昭和53年、龍の胴にあたる現在地へと遷座。







旧地の隣にある龍口寺にも、同名の社がある。
龍口寺の経八稲荷は、地元の大檀越である島村家より遷座。
旧地
昭和53年遷座前の境内が、龍口寺の隣に残る。
比較的近年まで社殿が残されていたが、現在は取り壊されている。
この辺は江戸期は片瀬村・津村・腰越村の境が曖昧で複数回の紛争があり、安永2年(1773年)には当社は龍口寺等とともに片瀬村の所属とされた(当社は腰越村・津村の鎮守であり、片瀬村の鎮守ではなかったが)。
しかし現在は、藤沢市片瀬に囲まれた、鎌倉市の飛び地となっている(腰越村・津村は現在は鎌倉市の一部)。

現在は旧境内は立入禁止で、社殿も解体済み。







