登戸稲荷社
登戸稲荷社は、神奈川県川崎市の、小田急線・JR南武線の登戸駅より西へ徒歩7分より北へ徒歩7分、または小田急線の向ヶ丘遊園駅より北へ徒歩7分の地に位置する鎮守社。
創建年代は不詳だが、当初は登戸新町の兵庫島に屋敷神として鎮座していたと伝わる。
天正18年(1590年)の多摩川の洪水で少し南に遷座したが、後の洪水で再び被災して現在地へ遷座し嘉永6年(1853年)に社殿が完成した。なお、洪水は安永8年(1779年)~天明元年(1781年)頃だったとも言う。
社殿は江戸期のもので、うち本殿覆屋には大型の漆喰彫刻が施されている。


拝殿は江戸末期の1853年建立。

本殿覆屋も1853年建立。仏堂のように火灯窓がある。
覆屋内に納められている本殿は1783年建立の可能性もある(非公開)。


かつては本殿覆屋の四方の壁に漆喰彫刻が施されていたが、関東大震災で被災し主に東西が残った(北面も若干残されている)。

明治維新時の神仏分離まで、光明院が当社の別当寺であった。
近くには長念寺や光明院、丸山教本庁がある。



