三溪園
三溪園は、神奈川県横浜市の、JR根岸線の根岸駅から東へ車で7分の地に位置する日本庭園。
実業家・茶人の原三溪(原富太郎、1868-1939年)が明治39年に外苑を無料公開したのに始まる。大正3年に外苑、同11年に内苑が完成した。昭和28年に市に寄贈され、同29年に外苑が、同33年よりは内苑が公開された。
国指定名勝の日本庭園に、三重塔や合掌造民家、茶室、仏堂など日本各地の名建築が約20点移築され、うち10点が国の重要文化財に、3点が横浜市の文化財に指定されている。


大池には茅葺きの四阿「涵花亭」がある(特段由緒がある建物ではない)。




鶴翔閣(かくしょうかく)は原三溪の別邸として建てられ、後に本邸となった。飛ぶ鶴を連想する外観ゆえ建築当初から鶴翔閣や放鶴亭と異称された。建築年代は明治35年~43年の間の諸説あるが、修理工事の報告書は明治42年と判断している。
茶の間棟、書斎棟、仏間棟、客間棟、倉、ボイラー室、変電室の8棟が横浜市指定有形文化財で、煉瓦工作物1基(変電室前に使われた配電室と推定)、排煙施設一式(煙道及び煉瓦工作物5基)、浄水槽5基(煉瓦造2基、C造2基、石造1基)、貯水施設2基(RC造1基、一部RC造1基)がそれに附指定されている。
創築当初は楽室棟、茶の間棟、書院棟、仏間棟、倉の構成だったが、楽室は幾度か改造され、倉は壁を木骨煉瓦造からRC造に改めた。洋間は大正13年頃、変電室は大正13年以前の築。また客間棟は白雲邸から曳屋したと伝える、住宅内最古の部分である。
屋内は毎年正月三が日に、催し物とともに公開される。

三溪記念館は大江宏の設計で平成元年竣工。三溪の業績などを紹介するほか、呈茶処やミュージアムショップもある。

御門は京都・平安神宮近くの西方寺の薬医門を移築。1708年頃の築で横浜市指定有形文化財。

右手に見えるのが白雲邸。正面は臨春閣の唐門。

白雲邸は原三溪夫婦の隠居所として大正9年築。横浜市指定有形文化財。この写真は臨春閣の裏庭から見たもの。

臨春閣は、第一屋、第二屋、第三屋の3棟(写真右からこの順で並ぶ)が国指定重要文化財で、第二屋には湯殿と便所が附指定されている。第三屋のみ二階建で他は平屋。
『三溪園の建築と原三溪』によると、原三溪の信じた由緒は、利休が意匠を担った秀吉の聚楽第北殿が1595年に伏見桃山城に移され、1620年にこれを下賜された紀州藩主は堺の長者飯野左太夫に与えて彼の大阪春日出新田別邸に建てさせ出府の際には宿泊したというものであったが、これは修理調査で否定された。次に、岩出市の紀ノ川沿いに1649年創築された紀州藩巌出御殿を、大阪の食家へ下賜し春日出新田に移築したという説が定説になった(現在の三溪園もこの立場)が、根拠は意外と強くないとする。本書の考証では、臨春閣は最初から春日出新田会所(18世紀中期頃)として建てられたとしている。


蓮華院は原三溪自作の茶室。大正6年築。土間に平等院鳳凰堂の古材と伝える柱と壁の格子がある。

旧天瑞寺寿塔覆堂は1591年築で国指定重要文化財。
豊臣秀吉が建てた母・大政所の寿塔(長寿を願って建てる生前墓)の覆屋で、大徳寺塔頭天瑞寺(明治初期廃寺)に建立され、明治以降は瑞光院・黄梅院を経て、明治35年に当園に移築された。なお、寿塔本体は大徳寺龍翔院に現存する。

亭榭(ていしゃ)は、京都市・高台寺の観月台を模した橋。

月華殿は国指定重要文化財。大正7年に三室戸寺金蔵院から、付属していた現・春草廬とともに三溪園に移築。
『三溪園の建築と原三溪』によると、徳川家康が伏見城内に1603年に建てた大名伺候の控え所が、1620年の廃城時に宇治の茶商上林家に下賜され、後に三室戸寺金蔵院に奉納されたと伝えるが、伏見城の遺構だという確証は無いという。

月華殿に接続する金毛窟(きんもくつ)は、原三溪自作の茶室で大正7年築。

天授院は1651年築で国指定重要文化財。かつては黒漆塗だった。
原三溪は鎌倉・星ケ井地蔵の本堂だったと考えていたが、建長寺塔頭心平寺の地蔵堂だったとの説が有力。

聴秋閣(ちょうしゅうかく)は国指定重要文化財。
『三溪園の建築と原三溪』によると、家光が二条城内に建てた1623年築の茶亭と伝え(江戸城吹上苑に創築との異伝もある)、後に春日局に下賜されて青山の稲葉家江戸下屋敷に移され、明治14年に牛込若松の二条公爵邸に渡った後、大正11年に三溪園に移築されたとする。

春草廬(しゅんそうろ)は江戸初期頃に建てられた茶室。国指定重要文化財。
織田有楽斎(織田信長の弟で大名・茶人)の作と伝え、三室戸寺金蔵院では九窓亭と呼ばれ月華殿に付属していたが、大正11年にともに三溪園に移築。

海岸門も京都・平安神宮近くの西方寺から移築。

旧燈明寺三重塔は1457年築で国指定重要文化財。京都・木津川市の燈明寺から移築。

林洞庵は昭和45年築。

横笛庵は建築年代不明。

旧東慶寺仏殿は鎌倉東慶寺より明治40年に移築したもので、国指定重要文化財。
『三溪園の建築と原三溪』によると1634年築が定説だが、1285年に北条貞時建てたとする異伝や、徳川忠長邸より東慶寺へ移築したとの異伝もあったという。

旧矢箆原家住宅は高山市荘川に江戸後期に建てられた合掌造民家で、国指定重要文化財。
矢箆原(やのはら)家は庄屋で、飛騨の三長者の一人とうたわれた。

旧燈明寺本堂は室町前期の築で国指定重要文化財。京都・木津川市の燈明寺から移築。

三溪園天満宮は、三溪園近くの旧家が祀っていた間門天神を移築。






