堀兼神社
堀兼神社は、埼玉県狭山市の、西武新宿線の入曽駅より北東へ車8分の地に位置する鎮守社。
景行天皇の代、東征帰路の日本武尊が、当地が干魃であったため、里人あるいは兵のため、富士山に祈ると雨が降ったあるいはたちまち清水が湧いたとも、井戸を掘ったとも伝え、そのときに浅間神社が創建されたとも言う。
明治41年頃、村内各社を合祀し堀兼神社と改称。
平安期から歌に唄われた堀兼之井とされる井戸がある。


随神門は江戸後期の建立。狭山市指定有形文化財。

社殿は塚の上にある。
富士山まで36里あるので石段も36段ある。
塚を登って社殿に参詣すると、富士山に登ったのと同じご利益があるとされる。


本殿内の厨子(1678年建造)は狭山市指定有形文化財だが、非公開。

塚の5合目には小御嶽神社(実際の富士山にも5合目に小御嶽神社がある)。


塚の1合目には下浅間神社(日枝神社?)。
社殿の壁面には彫刻が嵌め込まれている。


右は天満宮、左は天満宮と金毘羅大権の合殿。
境内にはこのほか、井上稲荷神社や牛頭天王などの祠がある。

堀兼之井
境内にある堀兼之井は、日本武尊が掘ったとも伝える井戸跡。埼玉県指定旧跡。
堀兼之井の名は平安期から中央に知られ歌に唄われたが、実際の所在地は不明で、そう伝える場は各地にあった(七曲井はその一つ)。
宝永5年(1708年)、川越藩主・秋元喬知が、風聞を元に堀兼神社の井戸跡を堀兼之井と推定して石碑を建てた。
