養玉院
養玉院は、東京都品川区の、都営浅草線の西馬込駅より東へ徒歩8分、またはJR横須賀線の西大井駅より南西へ徒歩10分の地に位置する天台宗の寺院。
正式には帰命山養玉院如来寺。
如来寺と養玉院が大正12年に合併して成立した寺院。
如来寺(帰命山如来寺大日院)は、寛永13年(1636年)に港区高輪に、五智如来を本尊として創建。現在地へは明治41年に移転。
養玉院(金光山養玉院大覚寺)は、起源は平安時代に遡るとも言われる。三貌院として江戸城大手あたりにあったが慶長年間(1596-1615年)の江戸城拡張で上野山内に移転。寛永12年(1635年)に上野寛永寺の子院・三明院となり、寛文3年(1663)に養玉院と改称。元禄11年(1698年)に台東区内の下谷坂本に移転。大正12年に如来寺と合併して現在地へと移転。
諸堂が揃い、墓地には大名家の墓所が移され、境内はかなり良く整っている。

山門は昭和63年建立。閉ざされているが、その脇に参道がある。


山門の裏には門番所と鐘楼がある。ともに昭和63年建立。


客殿は大正12年建立。

本堂は、江戸前期の1628年建立の養玉院本堂を、台東区下谷から大正12年移築。本堂の外陣は下谷から大正15年移築。
本尊は釈迦如来。


阿弥陀堂は昭和56年建立。
養玉院創立当初の本尊であった阿弥陀如来を安置。

阿弥陀堂の下部にある無量光殿の前には庭園も整備されている。

明王堂は平成10年建立。

如来堂(瑞応殿)は、港区高輪の如来寺から、江戸後期の1760年建立の本堂を明治40年に縮小移築。
移築前は、外観が重層(実際は裳階付きの平屋)の仏堂だった。

如来堂(瑞応殿)内には、如来寺の本尊であった五智如来像が一列に並ぶ。
五智如来とは、大日如来を中心に、北方世界の釈迦如来、西方世界の阿弥陀如来、南方世界の宝生如来、東方世界の薬師如来の各像を配したもの。
現在は如来堂の右側に入口が設けられており、そこから参拝することができる。

万霊塔(納骨堂)は大正12年建立でRC造。


大和国高取藩主・植村家は如来寺の檀家であった。


対馬藩主・宗家は養玉院の檀家であった。
千燈供養会法要
毎年8月13日、千燈供養会法要が行われ、夜には境内で提灯などが灯される。


