成子天神社

Naruko Tenjinsha成子天神社は、東京都新宿区の、東京メトロ丸ノ内線の西新宿駅より北へ徒歩2分の地に、新宿副都心の超高層ビル街に隣接して鎮座する天満宮。
平安時代の延喜3年(903年)、菅原道真の家臣が道真の像を京都から持ち帰り、柏木村(現在の新宿区の西部)に祀ったのが創建と伝える(後述)。現在地へは江戸時代の寛文元年(1661年)に遷座。江戸時代は天満天神社と称したが明治5年に北野神社と改称し、同27年に成子天神社と再改称した。
社殿は第二次世界大戦で戦災焼失し、戦後に再建されたもの。また、平成26年、安定収入を得るため境内に超高層マンションが建立され、その際に境内は庭園風に整備された。

表参道
成子天神社

奥に見えるのが表参道鳥居と楼門。

楼門
成子天神社

平成26年の再整備で建てられた、RC造の楼門。

三柱鳥居と拝殿
成子天神社

境内社の水神宮の前にある手押しポンプを囲んで三柱鳥居が立つ。三柱鳥居を構成する鳥居は、額束のある靖国鳥居。奥は戦後の昭和41年に再建されたRC造の拝殿。

神楽殿と境内社
成子天神社

神楽殿も平成26年頃の建立。境内社のうち大神宮は、成子天神創建前から成子に鎮座した神社、つまり地主神である(一旦他所に遷されていた)。

社殿脇の参道
成子天神社
本殿
成子天神社

社殿は昭和41年建立でRC造。

浅間神社・富士塚
成子天神社

富士塚は既存の小山を改造して大正9年築造。新宿区登録史跡。常時登拝可。

神輿庫
成子天神社

創建伝承と遷座伝承について

大正6年刊行の『東京府豊多摩郡神社誌』に記載されている成子天神社の創建及び遷座の伝承の要旨は、「菅原道真が太宰府に流された後に東国に赴いたその家臣3人のうち、1人は谷保に留まり(後に谷保天満宮を創建)、2人は当地(柏木村)で日々道真の平安を祈っていたが、道真が逝去した折に一旦上京して道真像を持ち帰り、延喜年間(901~923年)、柏木村成子(後の鳴子村)にあった大神宮(伊勢神宮分社)の境内に祠を建てて道真を祀った。後に大神宮は他所に遷し、元の敷地は菅神社の境内となった。寛文元年(1661年)、現在地に社殿を造営し、天満天神社と称した」というものである。
なお創建年代は、資料によっては『東京都神社名鑑』のように具体的に延喜3年(903年)の創建と著すものもある。

谷保天満宮
スポットガイド
谷保天満宮 | 東京都国立市
関東三天神

元天神

また成子天神社の元の鎮座地については、北新宿の鎧神社のウェブサイトに、「鎧神社の境内摂社天神社は柏木北公園より明治中期に遷座してきたもので、成子天神の元宮ゆえに元天神とも言う」旨が記してある。この説に従うと、旧鎮座地は北新宿の柏木北公園ということになる。

鎧神社の境内摂社天神社
鎧神社

由緒の古い天満宮

全国の天満宮の総本社は福岡県の太宰府天満宮と京都の北野天満宮だが、太宰府天満宮は延喜5年に道真の廟(安楽寺)を建立し、更に延喜19年(919年)に天満宮を創建したのが経緯。また北野天満宮の方は天暦元年(947年)創建である。
本来ならば総本社より同時期あるいは前に創祀されることはほとんどありえないことであるが、天満宮は全国に膨大な数があるので、中には成子天神のように太宰府天満宮と同時期の延喜年間に道真を祀った、という縁起を持つ社もあり、当方が把握しているだけでも全国に約30社ある(国立市の谷保天満宮はその一例)。甚だしい所になると、まだ道真が生きているうちから生祠(存命の人間を祀る祠)を作って祀ったという縁起を作っている神社もある。


明治の神仏分離までは、北新宿の円照寺が成子天神社の別当寺であった。

成子天神社 公式HP
東京都新宿区西新宿8-14-10 地図
アクセス:東京メトロ丸ノ内線 西新宿駅より徒歩2分/ 都営大江戸線 都庁前駅より徒歩8分/ 新宿駅より徒歩11分
新宿区
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新宿区 | 東京都
新宿・早稲田・市ヶ谷・四谷など

比較的近くには、十二社熊野神社がある。

十二社熊野神社
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十二社熊野神社 | 東京都新宿区
新宿超高層ビル街の鎮守