妙見寺
妙見寺は、東京都稲城市の、京王相模原線の稲城駅より南西へ徒歩7分の地に位置する、天台宗の寺院。
正式には神王山観音院妙見寺。
天平宝字4年(760年)、新羅が九州に侵攻した際、淳仁天皇の勅命で当地で伏敵を祈願すると妙見菩薩が顕現し国難が去ったため、同年中に勅命で妙見宮と妙見寺を創建。
江戸初期に妙見寺は退転して東光院が妙見宮の別当となるが、延宝5年(1677年)に旧位置の鳥居の脇にあった観音院が別当を継承、宝永年間(1704-10年)に現在地に移り、宝永7年(1710年)に妙見寺と改称(これをもって中興とする)。
明治維新時の神仏分離までは、妙見宮が百村の鎮守であった(維新以後の鎮守は竪神社)。
現在も妙見宮の別当寺として神仏習合色を濃厚に残す寺院で、秩父市の秩父神社、山口市の興隆寺妙見社と共に日本三妙見だと称している。


山門は江戸後期の1843年建立。


本尊は阿弥陀如来。

北辰妙見宮
妙見寺の門前から参道が伸びる北辰妙見宮は奥ノ院である。
なお、かつては妙見宮の参道の入口は現在より麓にあり、鳥居もそこにあったのだが、京王線敷設で開削され失われた。


二ノ鳥居前の柱に掛かる荒縄は、1月8日の神化祭で更新される。

8月7日の蛇より祭(東京都指定無形民俗文化財)では、疫病退散・雨乞い・五穀豊穣を祈って50~100mの茅製の大蛇が作られ、頭は中腹の二十三夜塔の前に、胴体は参道沿いに、尾は山上の社殿を囲むように置かれる。大蛇の胴体に触れると一年間病気をしないと言われる。
この蛇は、当寺の妙見菩薩が青龍に跨って降臨したとの故事に基づく(なお、一般的には妙見菩薩が乗るのは玄武)。

山上にある社殿への石段の脇には、茅製の大蛇の蛇体が並行して山上まで伸びる。

手水舎は明治42年建立。

妙見堂の社殿は拝殿・幣殿・覆殿を連結した権現造で昭和62年建立。
基本的には神社建築だが、拝殿には仏堂らしく花頭窓が付いている。
中には1703年建立とも推測される宮殿が収められている(非公開)。
本尊は北辰妙見尊。

妙見宮の境内にはこのほか、何を祀っているのか不明な祠が数棟ある。




