伝統の日本紀行

多聞院 & 神明社

多聞院多聞院と神明社は、埼玉県所沢市の、西武新宿線の新所沢駅より北東へ車13分の地に隣り合って位置する寺社。
多聞院とその毘沙門社(堂)は、三富(上富・中富・下富)地域の開拓に際し、その祈願所・総鎮守として創建。神明社は明治期に多聞院から分離され、三富の総鎮守となった。
ただし、現在では、多聞院にも「三富総鎮守」の幟が立てられている。

多聞院

多聞院(たもんいん)は、真言宗豊山派の寺院。
正式には宝塔山吉祥寺多聞(密)院。
元禄9年(1696年)、川越藩主・柳沢吉保が、三富地域を開拓するにあたり、その総鎮守および祈願所として毘沙門社およびその別当寺・多聞院を創建。
縁起では、柳沢吉保が武田信玄の持仏である毘沙門天像を保持していたが、霊夢で毘沙門天より、甲府城下にて毘沙門天像が置かれていた多聞密院を移して、当地に祀るよう毘沙門天の夢告があったので、それに従い創建されたとする
毘沙門堂は江戸期は、鳥居と拝殿を備えた神社(毘沙門社)であった。

毘沙門堂 参道
多聞院

参道入口には狛犬が立つ。
江戸期には毘沙門堂(毘沙門社)の参道には鳥居もあった。

狛寅
多聞院

毘沙門堂の前には一対の狛寅がある。
寅(虎)は毘沙門天の神使。

毘沙門堂
多聞院

毘沙門堂は、毘沙門社の本殿として1766年に建立。所沢市指定有形文化財。
かつては、この本殿の前に拝殿があった。
武田信玄の持仏であったと伝える毘沙門天像を祀る。

身代わり寅
多聞院

毘沙門堂や狛寅には、小さな「身代わり寅」像が多数奉納されている。
これは、毘沙門天の神使である寅に、災いを託して奉納するというもの。

本堂
多聞院

本尊は大日如来。

半僧坊大権現
多聞院

このほか、稲荷などの小祠がある。

寅まつり

多聞院の境内には比較的多くの牡丹が植栽されており、4月中旬~5月初旬頃に見頃を迎える。開花時期中である5月1日には毎年、寅まつりとして、大般若経の転読会も催される。
この行事に関する詳細は、「多聞院 寅まつり」の記事を参照。

多聞院
イベントガイド
多聞院 寅まつり | 埼玉県所沢市
5月1日 - 牡丹と読経
寅まつり
多聞院
多聞院
埼玉県所沢市中富1501 地図
アクセス:西武新宿線 新所沢駅より車13分
川越
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西武の新宿線と池袋線の交点

神明社

神明社は、三富および富岡の総鎮守。
宝暦8年(1758年)または11年(1761年)に多聞院境内に勧請。
明治維新時の神仏分離で多聞院と分離され、また三富の総鎮守であった毘沙門堂が明確に仏堂とされたため、神明社が三富の総鎮守となった。
明治期には神社合祀により、富岡村も氏子域となった。

表参道
神明社
拝殿
神明社
本殿
神明社
神楽殿
神明社
天神宮
神明社

天神宮は寛政12年(1800年)勧請。天満宮の幟が立つ。

いも神社

いも神社は平成18年創建。甘藷乃神(いものかみ)として吉田弥右衛門と青木昆陽を祀る。
当地は川越いも(サツマイモ)の産地であり、青木昆陽は享保20年(1735年)に関東で初めてサツマイモを栽培した人物、吉田弥右衛門は寛延4年(1751年)に川越地域で初めてサツマイモを栽培した人物。
社殿の前には「なでいも」と、サツマイモを抱えた狛犬が立つ。

いも神社
神明社
サツマイモを抱える狛犬
神明社
神明社
埼玉県所沢市中富1507 地図
アクセス:西武新宿線 新所沢駅より車13分
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西武の新宿線と池袋線の交点

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