平塚神社
平塚神社は、東京都北区の、JR京浜東北線の上中里駅より南へ徒歩2分、または東京メトロ南北線の西ケ原駅より南東へ徒歩3分の地に位置する、中里・上中里の鎮守。
元永年間(1118-19年)創建。
源義家が奥州遠征の帰途に当地の領主・豊島太郎近義に鎧一領を下賜。近義はその鎧を埋納して平たい塚を築き居城・平塚城の鎮守とし、さらに社殿を建てて八幡太郎義家、賀茂次郎義綱、新羅三郎義光の三兄弟を平塚三所大明神として祀ったという。
したがって、当社は「八幡神社」とは称しているものの、一般的な八幡神を祀っているわけではない。




拝殿は明治2~3年頃の建立。
神楽殿も戦前の写真と一致する。

本殿は江戸後期の1839年建立。
なお、祭神である源義家の鎧を埋めた塚は甲冑塚とも、また高さがないので平塚とも呼ばれ、本殿の後方に現存するというが、覗うことはできない。

左から御料稲荷神社、大門先・元稲荷神社、菅原神社。

菅原神社(平塚天神社)は菅原道真のほか、大己貴命および、平塚神社を創建した豊島太郎近義を祀る。

石室神社は蘓坂兵庫頭秀次命を祀る。
蘓坂秀次は豊島氏の後に平塚城主となり、平塚明神を篤く祀った(平安末期以来、平塚城は豊島氏の居城であったが、文明10年(1478年)に太田道灌によって落城)。
秀次は死後に社の外側に葬られるが、以降墳墓周辺に毎年米が降ったため、石神明神として祀られた。
年中行事
出初式
毎年1月4日には出初式として、境内で梯子乗りが披露される。この行事に関する詳細は「平塚神社 出初式」の記事を参照。

御霊なごめ祭
祭神の1柱である八幡太郎源義家の命日にあわせ、8月の中旬の夕刻に、境内にロウソクの灯りを並べる行事。

例大祭
平塚神社の例大祭は9月中旬。宮神輿の渡御間隔は不定期。この行事に関する詳細は「平塚神社 例大祭」の記事を参照。


本社神輿の製作年は不明。
紅葉


明治維新時の神仏分離までは、近くの城官寺が別当寺であった。




