三宝寺池厳島神社
三宝寺池厳島神社は、東京都練馬区の、西武池袋線の石神井公園駅から徒歩21分の地に位置する神社。
石神井公園の三宝寺池(旧称・弁天池)に浮かぶ中島に鎮座する。
創建年代は不詳。
4月上旬の例祭では、岸側にある境内社の穴弁天(宇賀神社)の霊窟が公開される。

三宝寺池へと下る参道の入口に鳥居が立つ。

厳島神社は中島に鎮座しており、中島へは太鼓橋が架かる。

境内には池に張り出す浮御堂もある。

穴弁天
穴弁天(宇賀神社)は、厳島神社社殿の向かいの岸にある境内社。
洞窟は約10mで、最奥には、三宝寺の底より発見されたと伝える宇賀神の像が安置されている。
宇賀神社は人面蛇身の神で、しばしば弁財天と同一視される。
常日頃は穴の扉は閉ざされているが、4月上旬の厳島神社の例祭で開扉される。

普段はこのように、霊窟の扉は閉ざされている。


例祭では、以前はこのように中に入って参拝したが、最近は、安全面の配慮から中には入れず、開扉されるのみ。
明治の神仏分離までは、近くの三宝寺が別当寺であった。
石神井城跡と三宝寺池
石神井城は当地の土豪であった豊嶋氏の居城で、室町中期頃に三宝寺池の南側に築造された。
この城は文明9年(1477年)に太田道灌によって落城させられ、ほどなく豊嶋氏は滅亡し廃城となった。
現在、内郭の空堀や土塁が石神井公園内に若干残る。また、石神井氷川神社は、石神井城の鎮守としてその一角に創建されたものである。
この落城の際、城主豊島泰経とその娘の照姫が三宝寺池に投身自殺したという伝承があり、墓とされる殿塚と姫塚も池の近くにある。この伝承に基づき、練馬区では、春に三宝寺池の付近で、「照姫まつり」を催している。
ただし、この伝説は史実とは認められないようである(近代以降に形成された伝説との説もある)。

石神井城跡は東京都指定史跡。
中心部の土塁と堀が三宝寺池南岸で石神井氷川神社の北東方に現存するが、柵が巡らされており立入は不可。
三宝寺池はかつては現・厳島神社に因んで弁天池と呼ばれ、武蔵野三大湧水池とされた。
三宝寺池の北岸には国指定天然記念物の三宝寺池沼沢植物群落がある。


石神井公園のその他の風景



古くからある三宝寺池とは対照的に、隣の石神井池は昭和8年に築造された。

石神井池の南東にある記念庭園は、大正5年頃に築造された第二豊田園を昭和53年頃に再整備したもの。
なお、石神井公園一帯の見所には他に禅定院、道場寺、旧内田家住宅・石神井公園ふるさと文化館、三宝寺、石神井氷川神社などがある。