武蔵国分寺は、奈良時代の天平13年(741年)に聖武天皇の勅命で全国に設置された国分寺の一つで、僧寺(金光明四天王護国之寺)と尼寺(法華滅罪之寺)が建てられた。武蔵国の古代の国分寺跡は他国の国分寺跡と比べても規模が大きい。
国指定史跡には、古代官道「東山道武蔵路」跡の東側の武蔵国分(僧)寺跡と西側の武蔵国分尼寺跡に加え、東山道武蔵路跡も後に追加指定されている。

武蔵国分寺跡

武蔵国分寺跡武蔵国分寺(僧)跡は、東京都国分寺市の、JR中央線・武蔵野線の西国分寺駅より南へ徒歩14分に位置する史跡。
武蔵国分寺は奈良時代に創建され、平安後期よりは衰退に向かい、元弘3年(1333年)に分倍河原の戦いで焼失した後は、建武2年(1335年)に薬師堂が再建されたはしたものの、江戸時代までは本格的に復興されなかった。

おたかの道湧水園にある古代国分寺模型
おたかの道湧水園

中枢部区一帯

現・国分寺の南方にあった中枢部区は中門・金堂・講堂・鐘楼・経蔵・東西僧坊が配置された地区で、塀に囲まれていた。
この部分は「市立歴史公園 史跡武蔵国分寺跡(僧寺伽藍中枢地域)」として整備されている。
中枢部区の周囲を、南門や七重塔があった伽藍地区が囲んだ。現・国分寺もこの伽藍地区内にある。
伽藍地区の外には、寺院地(寺の管理運営施設を含む外側の区画)が広がっていた。

中門跡
武蔵国分寺跡

中門は中枢部区への入口。奥に見えるのが金堂跡。
更に南には伽藍地区の入口となる南門跡がある(中枢部区外)が、まだ標識が立っているだけである。

金堂跡
武蔵国分寺跡

金堂は本尊仏を安置した仏堂。武蔵国分寺の金堂は諸国国分寺で最大級であった。

講堂跡
武蔵国分寺跡

講堂は経典の講義などが行われた建物。
中枢部区はこの他は鐘楼跡が整備済み。

七重塔跡
武蔵国分寺跡

七重塔は金光明最勝王経が安置された塔で、特に重要視されたが、中枢部区外(伽藍地区内)にあった。高さは約60mと推定される。
なお、もう一基、塔跡が発見されているが未整備。

武蔵国分寺跡
東京都国分寺市西元町1~3丁目他 地図
アクセス:JR中央線・武蔵野線 西国分寺駅より徒歩14分
小金井・国分寺
エリアガイド
小金井・国分寺 | 東京都
JR中央線沿線の市町村では中間東寄り

現・国分寺

武蔵国分寺古代国分寺の後身である現・武蔵国分寺は、古代国分寺の中枢部より北方に位置するものの、寺院伽藍地内にある(ただし史跡指定範囲なのは薬師堂一帯だけで、本堂一帯は範囲外)。
当所に関する詳細は武蔵国分寺の記事を参照。

武蔵国分寺
スポットガイド
武蔵国分寺 | 東京都国分寺市
武蔵国の国分寺
現・武蔵国分寺
武蔵国分寺
武蔵国分寺
東京都国分寺市西元町1-13-16 地図

おたかの道湧水園

おたかの道湧水園おたかの道湧水園は、当地の名主を務めた本多家の跡で、長屋門と蔵が残る。武蔵国分寺跡の史跡指定範囲内に位置する「市立歴史公園 史跡武蔵国分寺跡(国分寺崖線下地域)」であり、七重塔の縮小模型や、武蔵国分寺跡資料館がある。
当所に関する詳細はおたかの道湧水園の記事を参照。

おたかの道湧水園
スポットガイド
おたかの道湧水園 | 東京都国分寺市
名主邸跡に立つ国分寺資料館
七重塔縮小復元模型
おたかの道湧水園
おたかの道湧水園
東京都国分寺市西元町1-13-10 地図

真姿の池湧水群

真姿(ますがた)の池湧水群は、東京都指定名勝の湧水群。ここも武蔵国分寺跡の史跡指定範囲内にある。

水路の始点
真姿の池湧水群

湧水源の一つは国分寺崖線から始まる水路の始点。

真姿の池
真姿の池湧水群

真姿の池にも湧水源がある。池の島には弁財天の祠が立つ。

都名勝の指定範囲は真姿の池と水路、背後の国分寺崖線と崖線上の市立歴史公園。
伝説では、平安時代、玉造小町という女性が皮膚病の治癒を願って国分寺に参詣すると童子を通じた託宣があり、その通りこの池で身を清めると病は平癒した。池が小町の真の姿を映したことから真姿の池と呼ぶようになったという。
異伝もあり、かの小野小町が盛期を過ぎて当地に至り、毎日この池の水面に姿を映して嘆いたので小野小町姿見之池と呼ぶといい、弁財天は小野小町を祀るという

真姿の池湧水群
東京都国分寺市西元町1-13 地図

市立歴史公園 史跡武蔵国分寺跡(僧寺北東地域)

ここには国分僧寺の伽藍地(兼・寺院地)の北限を区画する溝があるため、市立歴史公園として整備されている。
武蔵国分寺跡の史跡指定範囲内であり、真姿の池湧水群から国分寺崖線を登った所にある。

公園
僧寺北東地域
溝の断面の展示施設
僧寺北東地域

伽藍地の北限境界を画す、関東の国分寺に特徴的な素掘りの溝であり、地下に埋められているが一部を公開。

市立歴史公園 史跡武蔵国分寺跡(僧寺北東地域)
東京都国分寺市西元町1-1地図

武蔵国分尼寺跡

武蔵国分尼寺跡古代の武蔵国分尼寺跡は、東山道武蔵路を挟んで西側(国分僧寺の反対側)に置かれた。現在、跡地は「市立歴史公園 武蔵国分尼寺跡」として整備公開されている。
JR中央線・武蔵野線の西国分寺駅より南へ徒歩14分。

中門跡
武蔵国分尼寺跡

中門は中枢部区の入口。奥に見えるのは金堂跡。
中門より南方に、伽藍地区の入口となる南大門が想定されているものの、跡は未発見。

金堂跡
武蔵国分尼寺跡

金堂は本尊を安置した仏堂。金堂の背後には講堂・鐘楼・経蔵が想定されているが、宅地造成の影響で跡は未発見。

尼坊跡
武蔵国分尼寺跡

講堂の背後には尼坊(尼僧の住居)が配置されていた。

伝・鎌倉街道
武蔵国分尼寺跡

史跡指定範囲の北端には伝・鎌倉街道の切り通しが残る。道の西の丘の遺構は国分尼寺の伽藍の一部とする説もあったが、調査の結果、中世寺院(伝・祥応寺)跡と判明。また道の東の丘にある塚は国分寺関連の土塔とされてきたが、中世の修法壇跡と判明した。

武蔵国分尼寺跡
東京都国分寺市西元町4丁目地図
アクセス:JR中央線・武蔵野線 西国分寺駅より徒歩14分

東山道武蔵路跡

武蔵国は、律令制の広域行政区では、771年までは五畿七道のうち東山道に属した(771年以降は東海道)。また七道は同時に畿内と地方を結ぶ官道をも指した。
武蔵国は東山道本道から南に外れていたため、上野国から武蔵国府に至る支路として整備されたのが東山道武蔵路(当時の呼称は不明)である。
幅12mの直線道路であり、国指定史跡武蔵国分寺跡に追加で附指定されている。
JR中央線・武蔵野線の西国分寺駅より西へ徒歩5分。

東山道武蔵路跡
東山道武蔵路跡

アスファルト下に保存されている。

遺構再生展示施設
東山道武蔵路跡

保存地区北端近くの遺構再生展示施設 [地図] ではレプリカを展示している。
この他、南端には「市立歴史公園 史跡東山道武蔵路(武蔵国分寺跡北方地区)」 [地図] が整備されている。

東山道武蔵路跡
東京都国分寺市泉町2丁目・西元町2丁目他 地図
アクセス:JR中央線・武蔵野線 西国分寺駅より徒歩5分

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