浅草寺
浅草寺は、東京都台東区にある、東京の代表的な寺院の一つ。山号は金龍山。
戦前は天台宗(山門派)の別格本山であったが、戦後に独立して聖観音宗の本山となった。また坂東三十三箇所観音霊場の第13番札所である。
飛鳥時代の推古天皇36年(628年)頃の草創と伝え、都内最古の寺院を名乗る。江戸時代は歴代山主に法親王で寛永寺貫主であった輪王寺宮を迎え栄えたが、明治になると神仏分離で浅草神社が分離され、境内は公園化された。しかし現在も、東京の一大名所として国内外に広く知られる。
雷門は昭和35年建立。前面には風神と雷神が、背面には人間の姿をとった天龍と金龍が配されている。
仲見世は昭和3年にRC造で竣工。
宝蔵門はいわゆる仁王門で、昭和39年の再建。裏側には巨大なワラジが1足奉納されている。
宝蔵門の脇にある浅草不動尊は浅草寺の一部ではなく、浅草寺が戦後に天台宗から独立した際も天台宗に残留した別の寺院。
五重塔は昭和48年再建。最上階にはスリランカ伝来の仏舎利を安置する。
水舎は昭和39年建立。八角形の手水鉢には高村光雲作の沙竭羅龍王像が配されている。また天井には龍が描かれている。
本堂(観音堂)は昭和33年再建。本尊は聖観音菩薩。
二天門は江戸前期の1649年頃、浅草東照宮(現存せず)の随神門として建立。国指定重要文化財。
明治期に持国天と増長天を収める二天門となった。
影向堂は平成6年建立。聖観世音菩薩と干支ごとの守り本尊である影向衆(千手観音、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、勢至菩薩、大日如来、不動明王、阿弥陀如来)を祀る。
この石橋は、かつて浅草寺境内にあった東照宮の石橋として1618年に建造。
旧浅草東照宮石橋一帯は庭園整備されている。
六角堂は日限地蔵尊を祀る。室町期建立とも、江戸初期の1618年建立とも。東京都指定有形文化財。
橋本薬師堂は1649年建立。
金龍権現は、浅草観音が示現した際に舞い降りたと伝える金龍を祀る。重層の六角堂の初層に前室?を付加した、変則的な造り。
九頭龍権現は戦後、本堂再建の成就を祈り勧請された、伽藍鎮護の神。
安置されている恵日寿像と大黒天像は弘法大師空海の作と伝える。
一言不動は、願い事を一つに限って祈願すると成就するとされる。
青銅製の宝篋印塔は1761年建立で総高は7.5m。
銅造の阿弥陀如来坐像は1693年奉納。
淡島堂は淡島明神を祀る。堂は元禄年間(1688-1704年)建立で、戦後の本堂再建期には本堂に、その後は影向堂に使用されていた。
左側の多宝塔は写経供養塔で、平成6年建立。
銭塚地蔵堂は令和元年建立。安置された六地蔵の下に寛永通宝が埋納されていると伝えるので銭塚という。参拝者は塩、線香、ロウソクを供えるので「塩なめ地蔵」の異名がある。
銭塚地蔵堂の脇にあるかんかん地蔵には塩を供える。石を打って祈ると「かんかん」と音がするのでかんかん地蔵と呼ぶ。かつては大日如来であったと伝えるが現在は原形をとどめていない。
弁天堂は昭和58年再建。江ノ島弁天(江島神社)及び柏・布施弁天とで関東三弁天の一つだと称している。
久米平内堂は小祠だが、彫刻がびっしり施されている。昭和53年再建。
久米平内は江戸前期の武士で、多くの人を斬り殺した滅罪のため、石に刻んだ自分の姿を人々が踏むよう仁王門近くに埋めたと伝える。後世に「踏付け」が「文付け」と転訛し、願文を堂に納めると縁結びが叶うとされた。
右は観音菩薩、左は勢至菩薩。1687年の建立で、高さ2.36m(蓮台含め高さ4.54m)。
子院21寺院の堂宇は、昭和7年に建立されたRC造の建築群。
伝法院
浅草寺本坊である伝法院の庭園は国指定名勝で、小堀遠州の作庭と伝える。建物も空襲を免れ、うち客殿、玄関、大書院・小書院・台所、新書院が国指定重要文化財。また茶室天祐庵は東京都指定有形文化財。
庭園は3月中旬~5月初旬頃、大絵馬寺宝館(撮影不可)と共に300円で公開される。なお、それ以外の時期でも庭園はわずかながら鎮護堂境内のココから柵越しに覗うことができる。
表門は長野県松本市の大和家の表門を昭和29年に移築したもの。ただし袖塀と門番所はこのとき新造された。
通用門は明治36年に移築。
中門(赤門・葵門)は鎮護堂境内から裏側のみ見える。『東京都の近世社寺建築』は徳川慶喜が寛永寺で謹慎した建物からの移築とするのに対し、『国指定名勝「伝法院庭園」内の歴史的建造物に関する調査研究報告書』は明治37年の新造とする。
鎮護堂は伝法院の鎮守で、伝法院の中で常日頃から公開されている唯一のエリア。ただしこちら側から見えるのは拝殿のみである。
鎮護堂の拝殿の背後にある本殿は大正2年建立。明治以降に棲み着いた狸らが住職の夢に現れ守護を約したので、明治16年に鎮護大使者として祀った。
伝法院特別公開の時にしか覗えない。
茶室天祐庵は東京都指定有形文化財。表千家不審庵を天明年間(1781-1789年)に写したもの。
大書院は明治35年建立。国指定重要文化財。
新書院は大正7年建立。国指定重要文化財。大書院と新書院以外の国重文建築は、公開時もほとんど見ることができない。
書庫は明治32年建立。
門の向こうに見える瓦屋根が玄関、その奥の赤い屋根が客殿。玄関と客殿も国指定重要文化財だが、このように門外からわずかに覗えるのみ。
主な年中行事
年末年始 除夜の鐘及び初詣
浅草寺の除夜の鐘は、元旦午前0時から108回撞かれる。ただし一般人は撞くことはできない。初詣の人出は200万人以上で、東京都内では明治神宮に次いで第2位。
大晦日から1月6日にかけては修正会が催され、本堂内で追儺式も行われる。1月5日には牛玉加持会が催され、信徒に牛玉宝印押しや牛玉札の頒布が行われる。
1月18日 温座秘法陀羅尼会 亡者送り
温座秘法陀羅尼会は1月12~18日に催される除災招福の秘法。そのほとんどは非公開で、18日の行事満了時に行われる亡者送りのみ公開。この行事の詳細については「浅草寺 温座秘法陀羅尼会 亡者送り」の記事を参照。
2月3日 節分会
浅草寺の豆まきは都内でも有名な豆まきイベント。そもそも寺院での大規模な節分の祭礼行事は浅草寺で始まったという。
まず午前中に幼稚園児による豆まきがある。続いて日中二回、年男による豆まきが行われ、その際には七福神の舞(福聚の舞)も奉演される。夕方からは有名人による豆まきが4回に渡って行われる。この行事についての詳細は「浅草寺 節分会」の記事を参照。また隣の浅草神社でも節分祭の豆まきが行われる。
2月8日 針供養
淡島(粟島)明神が祀られる淡島堂においては、2月8日に針供養が行われ、豆腐に古針や折れた針が刺される。この行事についての詳細は「浅草寺 針供養」の記事を参照。
3月17~18日 本尊示現会
西暦628年3月18日に本尊の聖観音像が隅田川から引き揚げられたことを記念する法要で、明治の神仏分離までは浅草神社の三社祭と一体的に催されていた。
17日夕刻に浅草神社から宮神輿3基が浅草寺の本堂内に一泊して浅草観音に対面し、翌朝に浅草神社に還御する。この行事についての詳細は「浅草寺 本尊示現会」の記事を参照。
4月8日 花まつり
花まつり(灌仏会、仏生会)は釈迦の誕生日を祝う行事。参拝者は花御堂の誕生仏像に甘茶をかける。また浅草寺の場合、経営している幼稚園の園児たちも行事に参加し、白象のハリボテとともに行列する。
4月第2日曜日 白鷺の舞
4月第2日曜日及び11月3日には白鷺の舞が舞われる。これは、かつての祭礼行列にあった鷺舞を戦後に復興したもの。この行事についての詳細は「浅草寺 白鷺の舞」の記事を参照。
5月5日 宝の舞
宝の舞では、漁師の衣装をまとった幼稚園児らが宝船を曳いて練り歩く。この行事についての詳細は「浅草寺 宝の舞」の記事を参照。
5月中旬 三社祭
江戸東京の代表的な祭礼の一つである三社祭は、浅草寺の境内を神輿が巡行するものの、隣に鎮座する浅草神社の祭礼(例大祭)である。明治の神仏分離令までは3月18日に、本尊示現会と一体的に開催されていた。この行事についての詳細は「浅草神社 三社祭」の記事を参照。
7月9~10日 四万六千日ほおずき市
四万六千日は、この日に参詣すると四万六千日分参詣したのと同じご利益があるというもので、この際には都内で最大のほおずき市が立つ。この行事についての詳細は「浅草寺 四万六千日ほおずき市」の記事を参照。
10月中旬~11月中旬 浅草菊花展 & 10月18日 菊供養会
10月中旬~11月中旬には境内で菊花が展示される。期間中の10月18日の菊供養会では金龍の舞の奉納もある。この行事についての詳細は「浅草寺 浅草菊花展 & 菊供養会」の記事を参照。
11月3日 白鷺の舞
文化の日である11月3日(及び4月第2日曜日)には白鷺の舞が奉納される。この行事についての詳細は「浅草寺 白鷺の舞」の記事を参照。
11月 弘前ねぷた浅草まつり
浅草寺の行事ではないが、浅草では11月に「弘前ねぷた浅草まつり」と称してねぷたが運行される。この行事についての詳細は弘前ねぷた浅草まつりの記事を参照。
12月17~19日 羽子板市(歳の市)
歳の市(羽子板市)では歳の市の名残りとして、境内に羽子板の露店が出る。この行事についての詳細は「浅草寺 羽子板市」の記事を参照。
日本三大聖天・庚申
日本三大○○の類は、浅草寺が関連するものとしては、聖天と庚申がある。いずれも浅草寺側は主張せず、他所に名を挙げられている。
三大聖天の1つに名が挙げられるのは、境外にある支院の待乳山聖天である。なお、日本三大聖天を名乗るまたは名を挙げられる寺院は、待乳山聖天を入れて日本に少なくとも7寺はある。当寺についての詳細は待乳山聖天の記事を参照。
三大庚申は、京都八坂庚申堂、大阪四天王寺庚申堂と浅草寺庚申で三大庚申だと言うものである。主張しているのは八坂庚申堂である。なお、現在、浅草寺には庚申堂はない(庚申塔は何基かある模様)。三大庚申の件については小野照崎神社の記事も参照。日本三大庚申を名乗るまたは名を挙げられる寺院は、当寺を入れてこれまた少なくとも7寺はある。
その他の関連の寺社
龍昌寺
中野区の龍昌寺は曹洞宗の寺院。浅草寺の本堂は関東大震災で被災し、その本堂を修理する間、仮本堂が昭和初期に建立された。龍昌寺の本堂は、その浅草寺仮本堂を昭和12年に移築したもの。
(エリアガイドには不掲載)。
花畑大鷲神社
足立区花畑の花畑大鷲神社は江戸時代、俗に浅草寺の奥ノ院と呼ばれていた。江戸時代の大鷲神社の祭礼時には、近郊の農家が家鶏を大鷲神社に奉納し、翌日浅草寺の堂前に放つ風習もあった。
岩井観音堂
岩井観音堂は真言宗智山派の寺院。継体天皇の代(507-531年)に旅僧が創建し、安閑天皇の代(531-536年)に嵐で堂ごと像が流され、推古天皇36年(628年)に浅草で引き上げられたのが浅草観音で、返還を要望したがかなわず、代わりの仏像を祀ったという。
(エリアガイドには不掲載)。