小野照崎神社
小野照崎神社は、東京都台東区の、東京メトロ日比谷線の入谷駅より西へ徒歩3分、またはJR山手線の鶯谷駅より東へ徒歩7分の地に位置する鎮守社。
平安時代の仁寿2年(852年)、小野篁を祀って創建(後述)。江戸末期に菅原道真を相殿に祀った。
富士塚は国の重要有形民俗文化財に指定されている。
社名の「小野照崎」には複数の漢字表記方法がある(後述)。
拝殿は江戸末期の1866年建立。
富士塚(下谷坂本富士)は1828年築造で国指定重要有形民俗文化財。
関東周辺には数多くの富士塚が現存するが、うち国が文化財に指定している物は、当社のものを含めて全国で5基のみである(他は練馬区の江古田富士、豊島区の高松富士、埼玉県川口市の木曽呂富士、埼玉県志木市の田子山富士)。
富士塚は6月30日~7月1日のお山開きの期間中のみ、登拝が可能。
富士塚の前には、一対の狛猿がある。
庚申塚は日本三大庚申の一つだと称している。
京都の八坂庚申堂が日本三庚申なるものを唱えており、例えば『天台宗京都教区寺院誌』は「八坂庚申堂、大阪四天王寺庚申堂、東京入谷庚申堂が三庚申だが、入谷庚申堂は現存しない」旨を著している。(なお、入谷庚申堂はしばしば浅草寺庚申堂と入れ替えられる)。当社の庚申は石造物のみであり堂は存在しないものの、恐らくこの三庚申に対応するもので、現存するという立場なのだと思われる。
神楽殿は神輿庫と一体化したRC造。
三峯神社の前には狛狼が立つ。
稲荷神社は、小野照崎神社が現在地に遷座する前から鎮座していた地主神。
由緒
当社は平安時代の仁寿2年(852年)、小野篁(802-853年)を祀って創建されたと伝える。小野篁は平安時代の高名な学者・政治家で、上野国(現・群馬県)から京都への帰途、忍岡(現・上野公園)にしばし留まり去るのを惜しんだとされる。当初はその忍岡に創建されたが、江戸初期の寛永2年(1625年)、寛永寺が忍岡に創建されるに際して、現社地に遷座したとされる。
また異説として、忍岡聖堂(湯島聖堂の前身)が忍岡にあった当時にそこに祀られ、聖堂が昌平橋(湯島)に遷った元禄4年(1691年)頃、現在地に遷ったという伝承もある。
社名の漢字表記
社名の漢字表記は小野照崎が一般的だが、異字体を用いた表記も見られる。
表参道鳥居の扁額は小㙒𤋜﨑、例大祭の社前の提灯は小㙒照﨑、例大祭の掲示ビラでは小野照﨑、街角の幟では小㙒𤋜崎と、表記は様々であった。
年中行事
節分祭
2月3日に行われる小野照崎神社の節分祭では、短い鬼やらいの寸劇の後、豆まきが行われる。
例大祭
小野照崎神社の例大祭は、5月19日に近い土日に執り行われる。3年ごとの本祭では本社神輿が氏子地域を巡行し、その他の年は町神輿が連合渡御する。この行事に関する詳細は「小野照崎神社 例大祭」の記事を参照。
お山開き
下谷坂本富士のお山開きは、富士塚の一般的な山開き日である6月30日~7月1日で、この期間中のみ、登拝が可能となる(山開きの神事は30日朝)。境内には七夕飾りや、夏越の祓の茅の輪も作られる(大祓の神事は30日夕刻)。
氏子子供納涼踊り大会
7月の第3日・月曜日の夕刻には、氏子子供納涼踊り大会と称して盆踊りが催される。
足利学校 雅楽の夕べ
我が国最初の学校とも言われる足利学校(足利市)の創立年代には諸説あるが、その中には小野照崎神社の祭神である小野篁が創設したとの伝承もあり、9月下旬の秋季大祭では「足利学校 雅楽の夕べ」と題して講演と舞楽奉演がある。
明治の神仏分離までは、近くの嶺照院が当社の別当寺であった。